春になり、大学を卒業し、就職。 新たな生活のスタートです

その頃の、過食嘔吐のペースは、たま〜にといった感じで、あっても週に1回位だったと思います。
自分で選んだ道での第一歩

夢と希望に溢れていながらも、やはり人間関係の不安が大きな要素を占めていました

その最大のストレスは、4.5畳と6畳と小さなキッチンという狭くて古い寮に、二人で生活しなくてはならなかったこと。
もともと一人の時間が大切だった私にとって、何よりのストレスでした。
しかも、その同室の彼女は、明らかに私のことを嫌っていましたのでかなり最悪の状況でした

部屋が空いたら別々の部屋になるとのことでしたが、それが実現するまで1年近くかかりました。 事あるたびに総務に通い、まだ部屋は空かないのかと何度も確認し、担当の方にはかなりご迷惑をおかけしてしまいました

でも私には、と〜っても重要だったのです。
もちろん楽しいことも沢山ありました

職場の人には可愛がってもらえましたし、仕事も面白かったですし、ワクワクしながら過ごしていたもの事実。
しかし、若さって恐ろしいもので、自分には無限の可能性とそれをやるだけの力があるってどこかで信じているんですよね

現実が見えていないというか、無謀だったというか、単に無知だっただけというか...
それも学びなのですが、その全てと上手くバランスと取るということがその頃の私には全くというほど出来ていなかったんです

私にとって、徐々に溜まっていく数々のストレス、夢と現実とのギャップ、自信が実は過信であったという事実など、そんな受け入れがたい現実からの唯一の逃げ場所が、“過食”になっていったのです。
そのストレスと比例するように過食嘔吐の頻度は増えていき、気づくと毎日繰り返すようになっていました。
ちょうど過食が始まって1年位でしょうか

2人暮らしの間は、ふすま一枚隔てた隣の部屋には彼女がいたため、夕食後こっそりお菓子の封を開け、音が響かないようにこっそり食べ、彼女の入浴中や寝ている間にそ〜〜〜っとトイレで吐く。
正常な食事の時間以外は、そんなこそこそとした過食でした。
晴れて一人部屋を与えれてからは、何からも邪魔をされることも、気を遣うことも無く好きなだけ過食にはまっていました

一応ね、満腹中枢はきちんと作用して、食べだして15分位になるとちゃんとおなかは一杯になるんです。でも、それを過ぎるとどれだけでも食べれてしまう。
おなかがパンパンになり、苦しくなるまで

1回に食べた量を書くと、きっと凄いと思います。
通常の食事のあとに、食パン1斤にマーガリンとゆで小豆大1缶、菓子パン、クッキー1箱、チョコ1枚などなど...
パンとクッキーは欠かせませんでした

それらを水分と共に。
そして、食べたものが全部出たと自分で納得するまで何度も吐く。沢山の水を飲み、吐く。胃液が出るまでその繰り返し。
平日は5時過ぎまでは仕事だったので、まだ良かったのです。仕事をしている間は理性が働き、私の食欲もピタッと止まっていましたから。
でも休日は本当に危険でした

何に邪魔されること無く、ひたすら食べ、ひたすら吐くことが出来るのですから。
食べて吐くを1セットだとすると、ひどい時はそれを3セット行なっていました。
今思うと、あれだけのことをして良く体がもったなぁと思います。
毎年行なわれる健康診断は、内心冷や冷やでした。
どこかに異常が出ているのではないかと

でも、運良くか悪くか、全く引っかかる様子もなし。
幸い私は、指を突っ込まなくても下を向けば吐くことが出来たので、吐きだこも出来ず、外から見る限りではいたって健康そのものでした。
人前で食べるときの食欲は、決して少食ではありませんでしたが一応普通レベル。
ただ、食べたあとに吐けないという状況は、私にとってはかなりの恐怖でした。
だって、食べたら太るという思考パターンしかありませんから

で、考えることはいかに吐くかということ。
その頃の私は、食べることより、吐くことを妨害されることの方がより大きなストレスになっていました。
食べることと同じように、吐くという行為にも大切な意味があるということをかなり後になってから知りました。
また過食症という支えがあったからこそ、耐えられ乗越えられたこともたくさんあったと思うのです。
バランスをとるための一つの道具になっていた というか...
本当はね、もっと健全な支えがあれば良かったのですが、不器用だったあの頃の私には過食症しかなかったのです
