そのときは、はっきりと断言することが出来なかったけど、今は言える「“闇”はない」と。
あっ、自分の中の“闇の部分”って言ったほうが良いかな

ここで、重要なのは、“闇”を、どう捉えているかが問題

私が言う「“闇”はない」との“闇”は、一般的に捉えられている「マイナス・ネガティブなものとしての“闇”」のこと。
言葉の価値観って、その方個人が持っているものじゃないですか。
だから、「闇」って聴いても、マイナスなイメージのない方がいるわけで、この方にとっての「闇」は問題ではなくて...
スピリチュアルの勉強をすると、何故か“闇”って、マイナス・ネガティブなイメージで捕らえられがち

でも、もしこの世に一切の闇がなかったら、大変だと思いませんか?
だって、“夜=暗闇”があるから、体も睡眠の準備をし、休息することが出来るんですよね

でも、同じ場所にいても、そこに太陽の光が当たればそこは“光”に満ち溢れるわけで...
もちろん、人間にも完全なる光じゃない所はある。
しかも、光に気付けば気付くほど、影や暗い部分が目立ってくるわけで

私も、スピリチュアルの勉強をし始めた頃は愕然として、“私は闇だらけだ〜”って

でもね、そこを“マイナスなイメージの闇”として捉えるのではなく、“まだ光が当たっていない場所”とか、“光が弱い場所”として捕らえたら、自分の中の闇って無くなると思いませんか?
だって、もし、完全な光の存在になったら、もうこの地球で学ぶことはないのですから、完全な光じゃない所があって当然なんです

それがあるから、今何と向き合い、学べばよいのかがわかる。
そしてそれは、個人の中だけじゃなく、地球上にもあるわけで...
その存在を知って、今の自分に何が出来るかがわかる

逆に言うと、“闇”をマイナス・ネガティブなものとしての存在価値を与えてしまうのは、実は、一人一人のその想いなんですよね

もしあなたが、“今まではマイナスなイメージの闇”だと思っていた部分を、単に“まだ光がちょっと弱い部分”って思えたら、自分の中の“闇”はなくなる

そして、その目で地球を見ると、“地球の闇を担当してくれている部分”もマイナスなイメージではなくなると思いませんか?
そんな光の輪が、少しずつでも広がると嬉しいな

きっと、地球さんも喜んでくれるはず
