主よ、私をあなたの平和の道具にして下さい。
私を憎しみのあるところに愛をもたらす人に、
争いのあるところに許しを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらす人にして下さい。
主よ、私が慰められることよりも慰めることを、
理解されることよりも理解することを、
愛されることよりも愛することを求められますように。
私たちは自ら与えることによって与えられ、
許すことによって許され、
自分の身を捨てて死ぬことによって永遠の命をいただくのですから。
とても、有名な祈りの言葉なので、目にしたことのある方は多いかと思います

この祈りの言葉、面白いことに、必要なときに時々向こうからやってくるのです

今回は、朝の礼拝の説教の中で突然現れました

そしてこれは、私だけに必要なのではないと思い、ブログに載せました。
ある意味、これもシンクロ

実は、昨日来てくださったクライアントさんとの会話の中で、改めて、 “想い” “想念”の大切さを感じさせられたばかりでしたので

もちろん、この通りの人になれたらと〜〜〜っても素晴らしいことだと思う。
でも、まだまだほど遠い私だけど、そんな私でもできることがある

このメッセージが必要なあなたへ、この言葉が今届けら、祈りの輪が広がりました

心からの感謝を込めて

ラベル:祈り