この記事、本当はもっと早くに書きたかったのに忙しさにかまけてこんなに遅くなってしまいました

神様からはもっと早くにギフトをいただいていたのに...
これは、12月6日にいただいていた気付きです

その日は、小田和正さんのドームコンサートに行ってきました

そう、“なくしたものを探しに”というブログを書いた翌日です

あのブログを書いた後、やはり自分の中に許せない感情があることをどこか攻めてしまっている気持ちがあったんです

知識では、許せない感情は結局は自分への傷となって返ってきてしまうと知っていても、クリスマスになると必ず小学生のときの出来事を思いだし、それと同時に真っ先に浮かぶものは、その先生への憎しみの感情。それは、紛れもない事実。
私はどこで大切なものをなくしてしまったのだろう...
そのことを考えながら、コンサートの会場にいたのです

コンサートが始まる前、会場で倒れた方が出たため、開演が30分ほど遅くなったんです。
これにはきっと何か意味がある、どんな意味があるのだろうと単にコンサートを楽しむだけでなく、ちょっとだけアンテナを他にも向けておこうと意識しました

コンサートが始まり、あの透明感のある小田さんの声がすーっと心の中にしみこんできました。
あの声を聞いているだけで、自然に涙が溢れ出す。
そう、奇跡の歌声。
何度も何度も、涙があふれてきました。
そして、小田さんのピアノでの弾き語り。中央でピアノを弾く小田さんに青い光のスポットライトが当たるのを見ながら、一瞬にして自分が海スポットライトが当たっているのは目の前の小田さんなのに、海の底で光が注がれているのは間違いなく私自身。
小田さんの歌声とともに、容赦なく天からの光が心にどんどんしみ込んでくる。
その歌声と光を感じながら、自分の心の奥底に封印していたたくさんの蓋に気付いたのです。
そして、なくしてしまったもののありかを発見したのです

なくしたもの、それはどこでもない、ちゃんと自分の中にあったんです。
というより、どこにもなくしていなかったんですよね

自分が勝手に封印してしまっただけ。
心の奥深くに閉じ込めてしまっただけ。
もうクリアーしただろうと思っていた自分の課題、ふとした瞬間にまた湧き上がってきて見させられ、そして落ち込む

それは、自分の中にその課題が潜んでいることを教えてくれているに過ぎない。
私がすべきことは、その一つ一つの蓋にスポットライトをあて、硬く閉ざされているその蓋を開けてあげること。
そして、自分の中の闇、傷だと思っていたその一つ一つを開放し、光に変えていくこと。
神様は、ちゃんと答えを用意してくれていた

しかも、あんなにも分かりやすく、目に見える形で

そして、今感じています

私の中に、その小学生のころに受けた傷が癒されていることを...
先生への憎しみが消えていることを...
今更ですが、今こうしてこのブログを書く時間が与えられていることの意味を知りました。
今、この記事を書く作業を通して、自分の心の変化に気付くことが出来ました。
今日こそは書くぞ!と思ったときには、正直この自分の心の変化には気付いていませんでした。
“なくしたものは自分の中にあった

”という内容だけになるはずだったのに

傷が癒されていること、先生への憎しみが消えていることを書きながら気付きました。
というか、単にその出来事にスポットライトを当てる作業をしていなかったということかもしれませんが

そして、年内にやらなければいけない私の課題は“許しと開放”
この課題は、瞑想中に与えれれたものなのですが、う〜〜〜ん、つながっているなぁ。
なぜこのことに気付くのに、こんなに時間がかかってしまうのだろう

でも、こうして気付けたことに感謝

まだ2008年でよかった

さっ、心の大掃除だわ